【昔】姪浜と姪浜炭鉱(早良炭鉱)の歴史!※写真付きで解説します。
『姪浜エリアと姪浜炭鉱(早良炭鉱)の歴史』について詳しく解説します。
博多・天神へのアクセスも良好で、愛宕山・博多湾など自然も近くにある
福岡市西区の姪浜エリアですが、一昔前とはその様相が大きく異なります。
姪浜って今は”ベットタウン”として人気だけど、昔はどういう街だったのか詳しく知りたいな。
そこで今回は、姪浜エリア・姪浜炭鉱(早良炭鉱)の歴史について
「昔と今でどのような変化があったのか?」比較しつつ紹介します。
姪浜の名前の由来!
「そもそもなぜ”姪浜”という地名が付けられたのか?」皆さんはご存じでしょうか。
姪浜という名前の由来は、今から1800年ほど前、神功皇后が新羅(現在の朝鮮半島)遠征の帰路で、この浜辺に上陸され、着ていた衵(あこめ)を洗われたと伝えられ、
それ以来この地域は“あこめの浜”と呼ばれるようになり、それが時代と共に変化し“めいの浜”という呼び方になったと言われています。
(姪浜の民話)蛇岩物語
昔々、室見川沿いに竹浜村、宝来村という二つの村がありました。愛宕山を挟んで、この2つの村は昔から対立しており、顔を合わせれば喧嘩ばかりしていました。
そんなある日、竹浜村に住む娘”おせん”が山に入ったのですが、そこでイノシシを追って山に入り、谷に落ちて怪我をしてしまった男”安吉”と出会います。
安吉の傷の介抱から二人は恋に落ちてしまうのですが、双方の村の者と恋に落ちることは掟で禁止されています。
そして2人が内緒で会っていることが村の住人にばれてしまい、怒った竹浜村と宝来村の住人たちは、二人を崖から突き落として海に放り込んでしまいます。
すると”おせん”と”安吉”は、海の中で大きな白蛇となって再び姿を現すのですが…
また少し補足で、姪浜には「蛇岩物語」という昔から語り継がれている民謡があります。
子供たちのお遊戯会の題材になるくらい有名なお話で、姪浜エリアを舞台としてます。
姪浜の歴史について
姪浜という名前の由来を理解していただいたところで、次は「姪浜の地誌・歴史」について解説します。
姪浜エリアの「地誌」
そもそも姪浜は、比較的温暖な地域で、自然災害もほとんどなかったので、昔から農業・水産業・商業・鉱工業(石炭・石材)の盛んなところでした。
また歴史的にも見ても北条探題(1282年)の館が九州で最初に置かれ、早くから政治の中心となっていました。
港町・宿場町としても古くから賑わいを見せ、幕末には小戸に砲台が築造され、海防に当たったとされています。
姪浜炭鉱閉山後の変化
そして昭和8年に早良郡姪浜町から、福岡市に編入合併され現在に至るわけなのですが、
姪浜炭鉱(本抗、二抗)の閉山後は、海岸線が埋め立てられ、また長い間、姪浜の中心でもあった陥落池も埋め立てられ、
豊浜団地・小戸団地などが住宅地として整備されるとともに、地下鉄の起点、乗り継ぎ駅としての工事が完成します。
更には博多湾の埋め立て工事が進み、小戸地区・姪浜地区に、110ヘクタールの広大な都市施設用地および住宅用地の建設が進み、大きく様変わりしました。
愛宕山と鷲尾愛宕神社
ちなみに姪浜と縁の深い”愛宕山”は、古くは「鷲尾山」と呼ばれており、江戸時代の1634年に筑前国二代目藩主の“黒田忠之”が
京都から”愛宕権現”を迎えたことで「愛宕山」と呼ばれるようになり、1901年に愛宕山にある鷲尾神社と愛宕神社が合併。
名前は鷲尾愛宕神社となり、現在では一般的に”愛宕神社”と呼ばれ、日本三大愛宕の一つとして多くの観光客が訪れています。
姪浜炭鉱の歴史紹介
次は、姪浜と縁の深い「姪浜炭鉱(早良炭鉱)の歴史」について詳しく見ていきます。
激動の炭鉱経営時代
そもそも姪浜炭鉱は「姪浜鉱業」という会社によって、愛宕山の北側に開かれました。
大正3年(1914年)に創業した姪浜鉱業は、石油の進出によって閉山する昭和37年まで栄え、
当時は、従業員2,200人(家族を含めると8,000人以上)の炭鉱労働者が居住していました。
愛宕山の海側(豊浜)に本坑があり、小戸神社の東側(西部水処理センター)に二坑があり
福岡市西区の姪浜の発展に大きく貢献しましたが、戦後昭和37年(1962年)に閉山しました。
現在のマリナタウンや小戸公園の辺りは、昔は”ボタ山”だったとは驚きだね。
新規事業の模索時代
炭鉱は閉山しましたが、姪浜鉱業は“早良鉱業”に受け継がれ、その後も存続し続けます。
早良鉱業は西区エリアに広大な土地を所有しており、その利用価値は非常に高く
炭鉱が閉山した後は、それらを有効活用し次々と新しい事業を展開していきます。
その一つが、昭和37年(1962年)に開設された自動車学校「姪浜自動車学校」です。
自動車学校は、炭鉱閉山によって職を失った人々の再就職先としての役割もあったんだよね。
株式会社サワライズ
そして早良鉱業は事業を展開しつつ、合併を繰り返しながら”早良興産”→”早良興業”へと改称し
現在では「株式会社サワライズ」として、福岡市西区(小戸・姪浜・愛宕)を拠点に
- 不動産事業
- 医療事業
- 小戸ゴルフセンター
- 姪浜ドライビングスクール
- テラシス桜花
- あたごはま保育園
など地域の人々の暮らしを支える事業を展開し続け、2015年には創業100周年を迎えています。
サワライズについて詳しく知りたい人は>>『公式サイト』をチェックしてみてね。
現在の姪浜の魅力!
ここまで姪浜・姪浜炭鉱(早良炭鉱)の歴史について詳しく解説してきましたが
現在の福岡市西区の姪浜エリアには、どのような特色や魅力があるのでしょうか?
以前の炭鉱だった時代とは大きく異なり、現在の姪浜は適度な自然と都会的な面を持つ
福岡市内でも有数の“ベットタウン”として人気で、現在多くの家族世帯が住んでいます。
博多・天神へのアクセスも良好で、のこのしまアイランドパークなどレジャー施設も近いんだよね。
(複合商業施設)MEINOHAMA STEPS
最近特に話題になったのが、福岡市西区姪浜にオープンしたお洒落な商業施設「MEINOHAMA STEPS」。
1階がカフェ&薪火レストラン、2~3階がインテリアショップ、4階がスクール、5階に美容室が入っており、多くの地元民から利用される場所です。
このサイト「gokant GO!」では他にも、福岡市西区姪浜のおすすめスポットを紹介しています。
是非他の記事も参考に、姪浜の魅力について知っていただけると非常に嬉しいです!